2024年8月の終わり。夏の終盤、遠征試合中のことでした。
相手チームの子にスパイクで足を踏まれ、倒れ込んだ次男。
そこから立ち上がれず、コーチに抱えられてベンチへ。
冷やして様子を見ながら、次の試合で一瞬だけ出場したけれど、足を引きずる姿にすぐ交代。
それでも「出たい」と言う次男。チームのため、悔しさのため、痛みをこらえてピッチに戻り、足を引きずりながら一点を決めました。
試合を見ていたママ友から電話が鳴りました。
「次男くん、やばいよ。あんなんじゃ足が壊れちゃう。お願いだから早く迎えに来て!」
その声にただならぬ事態を感じました。
迎えに行ったパパが見たのは、歩けなくなった次男の姿。
足はクリームパンのように腫れ上がっていて、靴も履けない状態でした。
診断までの不安
翌日、病院でレントゲンを撮ると「骨折ではない」と言われ、簡易ギプスで固定。
診断は「筋挫傷」。安静にとのこと。
けれど、2週間後に控えたJリーグ下部組織のセレクションを前に、不安と焦りばかりが募っていきました。
次男はセレクションの為に毎日6時に起きて朝練を頑張っていたので、なんとか受けさせてあげたい!という気持ちでした。
しかし、なんとかしたいと思い調べて行った整骨院でも「安静に」と言われるだけ。
どうすれば早く治るのか、何をしたらいいのか分からないまま、ただ時間が過ぎていきました。
八王子スポーツ整形外科へ
「いい整骨院がある」と聞き行ってみたものの、腫れは引かず。
思い切って八王子スポーツ整形外科へ。完全予約制で、やっと取れたのは2週間後。
MRIを撮った結果、主治医から出た言葉は「長くなりそうですね」。
「どのくらいかかりますか?」と聞いても、明確な答えはなく、ただ不安だけが膨らみました。
3日後に再診でMRIの結果を聞きました。
診断名は
リスフラン靭帯損傷と骨挫傷
「絶対安静。足はつかないこと。お出かけもダメです」
プールでの運動を尋ねた私に、先生は少し厳しい口調で「大変なことになってるんですよ」と。
その時、初めて事の重大さを実感しました。ここから、長い戦いが始まります。

この時は、ここから6ヶ月もかかるとは思っていませんでした。
静かな日々
学校は送り迎え。体育は見学。遠足も町探検も参加できず。
放課後はリハビリ。
毎日サッカーする姿を見ていた私は、突然できなくなった現実に心がぽっかりと空きました。
仕事中にふと涙がこぼれる日もありました。
私が泣いたって次男の怪我がどうにかなるわけじゃない…
分かってはいましたが気持ちが追いついていかず…
でも、次男は前を向いていました。
「復帰する時にはパワーアップしてるんだ!」とリハビリに励む姿に、私の方が励まされていました。

無理のない範囲で散歩をしながら体を動かしていた、前向きな次男。
終わりの見えない3ヶ月
9月から11月。診察のたびに「まだ良くなっていませんね」
チームから届く試合連絡が、取り残されたような気持ちを呼び起こしました。
「どのくらいで治りますか?」と尋ねても、「焦っても治らないですよ」と言われるだけ。
8歳の子にとっての3ヶ月は、途方もなく長い時間。
それでも次男は、1時間半かかるリハビリメニューを毎日欠かさず続けました。
その姿に、我が子ながら心から尊敬しました。
次回〈後編〉では、少しずつ光が差し始めたリハビリ期から、感動の復帰戦までを綴ります。

